日時:2019年6月8日(土)午後2時~6時
場所:大東文化会館1階ホール
〒175-0083 東京都板橋区徳丸2-4-21
TEL:03-5399-7399
東武東上線東武練馬(大東文化大学前)駅徒歩5分 スクールバス乗り場
アクセスマップ:https://www.daito.ac.jp/access/noriba.html
日本音楽学会東日本支部ウェブサイト:http://www.musicology-japan.org/east/

シンポジウム
「音楽コミュニティとマイノリティ——多文化共生の実践と課題——」

コーディネーター:井上貴子(大東文化大学)
パネリスト、報告タイトル:
ヒュー・デフェランティ(東京工業大学)
「日本人と他民族および「同質的」受入社会とのかかわり——戦前の在オーストラリア日系人の音楽舞踊を中心に——」

宍倉正也(恵州学院)
「多文化共生へ向けた音楽コミュニティの可能性——小笠原の事例を通して——」

井上貴子(大東文化大学)
「言語、カースト、宗教的アイデンティティの交錯
——首都圏の南インド系住民による音楽活動とコミュニティ形成——」

齋藤俊輔(大東文化大学)
「群馬県大泉町における在日ブラジル人文化の受容、そして現在
——外国人の集住が地域社会の文化形成に与える影響——」

サワン・ジョシ(東京芸術大学音楽学部楽理科非常勤講師)
「在日ネパール人のアイデンティティ形成とその受容
——複数民族の音楽を通じた文化的活動の視点から——」

米野みちよ(東京大学)
「共生をめぐる音楽コミュニティのエージェンシー
——在日フィリピン人のど自慢大会——」
討論者:早稲田みな子(東京藝術大学他非常勤)

概要:
近年、日本では「ニューカマー」と総称される外国人が増加し、民族的・文化的マイノリティの音楽活動が盛んに行われるようになった。本シンポジウムは、現代日本の在留外国人と海外在留日本人の音楽活動に焦点をあて、彼ら自身によるマイノリティ・アイデンティティの構築と社会的関与のあり方について考察することを目的とする。そのために、次の二つの過程に注目する。第一に、マイノリティの伝統的な音楽舞踊を中心とする「文化的仲間集団」(トマス・トリノ(2015)『ミュージック・アズ・ソーシャルライフ―歌い踊ることをめぐる政治―』他)がいかにして形成されるかである。第二に、音楽的経験を通じて、マイノリティ集団と彼らを取り巻く文化や「受入社会」との関係がいかにして強化されるかである。
まず、1880~1940年代にオーストラリアに移住した日本人と、日本国内マイノリティ集団としての小笠原住民の音楽活動とコミュニティ形成について取り上げ、「文化的仲間集団」としてのアイデンティティがいかに強化されてきたのか、音楽活動を通じた「異文化体験」によって、マイノリティ集団と「受入社会」との関係がいかに形成されてきたかについて歴史的に考察する。ついで、主に首都圏・関東地方在住のマイノリティ(南インド人、ブラジル人、ネパール人、フィリピン人)の音楽活動を具体例として取り上げる。歴史的事例を参照しながら、21世紀日本のマイノリティ集団を取り巻く社会的・政治的・イデオロギー的状況を比較考察することは、公共の言説空間のみならず地方行政制度上も確立している「多文化共生」という概念をめぐる今日的課題を明確化するのに役立つだろう。
ヒュー・デフェランティは、戦前のオーストラリアの日本人マイノリティを取り上げる。当時のオーストラリア社会はアングロケルティック系が圧倒し、人種的ヒエラルキーに基づく移民政策が採用されていた。北部~西部在住の日本人は3000人たらずだったが、地域経済に大きく貢献した。シドニーでは、日本人はイギリス式の行動様式に適応する能力をもつと認識されていた。当時のオーストラリアと明治以降の日本は、いずれも同質性の高い社会だったと考えられるが、音楽を通じたマイノリティ集団との交流は相互理解を促進した。当時の日本人の音楽活動に加え、「受入社会」の白人や共に働く他民族との音楽を通じた異文化交流の具体例を分析し、多文化共生の可能性について考える。
宍倉正也は、小笠原の事例を通じて音楽コミュニティの形成過程と可能性について論じる。一般に、コミュニティとは地域や民族、宗教、または共通の興味などが、人と人をつなぐ媒体として存在するものと考えられている。そこで、歴史的には日本人、欧米系、太平洋諸島出身者などが入植し、文化的、民族的にもマイノリティとして扱われることの多い小笠原における音楽活動を例に、既成の概念を超え、柔軟で他者に向かって広がりゆくコミュニティ形成の可能性を探る。
井上貴子は、首都圏の南インド系住民の音楽活動に焦点をあてる。21世紀初頭から急速に増加したニューカマーのインド人の多くは、IT産業などに従事する技術者で、いずれ帰国するか英語圏第三国への移住を希望する「ソジョナー」である。彼らはインドの言語、カースト、宗教的アイデンティティを日本に持ち込み、排他的なコミュニティを形成する傾向がある。多くの文化イベントは言語州を基とするコミュニティの主催だが、中には本国の排他的なアイデンティティの障壁を越える音楽活動も存在する。こうした活動には、日本人の音楽舞踊専門家が積極的に関与することが多い。日本人が南インド系住民と共に行う音楽活動の具体例を分析し、多文化共生の可能性を探る。
齋藤俊輔は、群馬県大泉町に集住する在日ブラジル人と地域社会との関係に焦点をあてる。1990年代以降、大泉町では外国人住民が増加し、町民の約18%を占めるようになった。中でもブラジル国籍の住民が最も多く、町民の約10%に上る。21世紀に入ると、大泉町はブラジル人集住地域を町の観光地「ブラジルタウン」として発信するようになった。そのシンボルがサンバである。毎年「大泉カルナバル」というサンバイベントが行われ、大泉町は「ブラジルタウン」として全国的に知られることとなった。サンバを町のシンボルとして活用する過程を具体例として分析し、移民の文化と地域社会との関係について考察する。
サワン・ジョシは、在日ネパール人の文化活動を取り上げる。現在、在日外国人の中でネパール人は最も増加しており、来日理由は、留学、労働、国際結婚、家族滞在、移民など多様である。ネパールは多民族国家で、日本でも民族ごとにコミュニティを立ち上げている。特に関東地方に居住者が多く、コミュニティごとに文化活動を展開する。ネパールの様々な祭事や行事の際に行われる音楽・舞踊を通じた文化的活動は、他の民族や日本人との交流を促進する場にもなっている。そこで、在日ネパール人の民族コミュニティによる音楽を通じた文化活動がアイデンティティ形成に果たす意義と、他の民族や日本人による受容について分析し、多文化共生のあり方について考察する。
米野みちよは、在日フィリピン人ののど自慢大会を取り上げる。現在約29万人の在日フィリピン人のうち、21万人は永住者など日本に生活基盤をもつ。1990年代、民族音楽学は「想像の共同体」を応用し、移民が音楽にアイデンティティを見出す現象に光を当てた。また、全国の多文化共生関連行事では、料理などと共に音楽舞踊が手軽な「異文化体験」のツールとして用いられる。しかし、在日フィリピン人コミュニティの音楽活動は、日比米国などの商業的な音楽が中心である。この事例を、あえて完全には日本に統合しないことを選択する傾向にある在日フィリピン人たちの「生存ストラテジー」として捉えて考察する。
以上、本シンポジウムでは、今日の日本の状況を深く理解し、日本の主流社会と多様な民族的・文化的マイノリティが、音楽活動を通じて文化的つながりを深め、よりよい関係を築いていくための知識や情報・方策を提言していきたい。